鶴屋
佐賀の銘菓といえば丸房露。
もともとは、ポルトガルのお菓子で、長崎にてポルトガル人からその製法を受け継いだオランダ人・中国人から、さらに受け継いだ鶴屋の祖先が、佐賀に持ち帰って今の丸房露になったそうです。それから時代は変わり、江戸時代、徳川三代将軍家光公の治世の下、佐賀藩城主鍋島公御用達の御菓子となり、今もなお佐賀を代表するお菓子として、愛されております。
350年、ほぼ変わらない製法で、ひとつひとつ手作りで作られている鶴屋さんの丸房露。佐賀だったから生まれたお菓子、佐賀だったから生き残った味。
お話を聞かせていただいたのは、鶴屋営業部長の堤一博さんです。
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羽田:丸房露、全部手作りされていてすごいですね!感動しました!
堤:うちの二代目の太兵衛というものが、350年くらい前に長崎の出島で丸房露の製法を習ってきて、佐賀に持ち帰ったのが始まりです。
羽田:へえ!そんな前からですか!?
堤:丸房露は、もともとポルトガルの伝来のお菓子だったのですが、うちの祖先が長崎を訪れた頃には、ポルトガル人は鎖国で国外退去していて。ポルトガルのお菓子の製法を受け継いだオランダ人や中国人から習ったそうです。
羽田:そのころから今も、味はほとんど変わっていないんですか?
堤:当時は卵がなかったから、今より硬いお菓子だったらしいんですが、それ以外はほぼほぼ製法は変わっていないですね。
羽田:へえ、それはすごいことですね。伝統を守っていくことって本当に大変なことですよね。工房を拝見して、道具一つとっても、窓ガラスも、木枠のドアも、昔の時代から受け継いで、何百年も変わっていないんだろうなという風景でした。
堤:私どもとしてはあたりまえの光景で、古くてお恥ずかしい工房だと思ってしまいます。
羽田:古き良き時代の工場の空気、職人さんを信頼している空気、一人かけてもダメなんだというのが伝ってきました。最初の小麦粉と卵をまぜる工程を見ていたら、職人さんの手の節々が印象的で、卵を一体何万個割ったんだろうというような手をされていました。カンコンカンコンと卵を割って、小麦粉の中に入れて、ガーとかき混ぜて、3分くらいで見事になめらかにして、生地をこねている姿。そして次の方がアーティストのように繊細に型をとる緻密な作業をされていて、そのあと焼き職人さんが、頃合いをみてパッパッと焼いていて、三人で回している姿が感動的でした。
堤:すごい洞察力ですね(笑)!
羽田:そこに機械の入る余地がまったくない。頃合いがすべて人の手によってなされているんですよね。
堤:実は、丸房露は毎日味が違うんです。その日の気温と湿度によって、配合が変わります。微妙に砂糖と小麦粉の加減を変えたり、なるべくその気候の中で一番おいしい味にできるように、職人が日々試行錯誤しています。
羽田:なるほど。社会全体がAI化されて、どんな状況でも計算されつくされたものがあたりまえの社会で、職人さんの塩梅によってつくられている。形も丸なんだけど、ゆとりのある丸なんですよね。コンビニのおにぎりではなく、お母さんのつくったおにぎりみたいな。誰にもまねできない、ローマは一日にして成らず、ですね。
堤:そうですね。もっと効率よくやりたいという想いもあるんですけど、人の手でやるからこそ出せる味というものはあるので、葛藤しています。
羽田:ここにみんなの思い出があるというのがいいですよね!
堤:そうなんです。ひいおじいちゃん、ひいおばあちゃんの代から孫の代まで、3代~4代にかけてきていただいているお客様もいらっしゃいます。
羽田:京都で懐かしいと感じた感覚と似ていて、丸房露を食べると「懐かしい!」と思いました。どこかで食べたことがあるような、安心する感じ。
堤:たしかにそうですね。お子さんが大好きな味で、小さいころは皆さんたくさん食べるんですけど、大人になるにつれて一回離れるんです。でもまた懐かしくなって、年を重ねると丸房露に戻ってくる。そういう特徴はあるかもしれませんね。
羽田:消えちゃいけない、文化遺産ですね。
堤:長崎のカステラは華やかなんですけど、佐賀ではこのちょっと地味な丸房露がずっと続いているんです。佐賀にはうちだけじゃなくて、他にも丸房露やさんがあるので、お客様の好みに合わせて選んでいただけるから、生き残っているお菓子なんだと思います。
羽田:素敵ですね。自分のところだけじゃなくて、他社と一緒になって共存していくことは大事ですよね。それでは、職人さんの手からでるエネルギーを感じながら味わいたいと思います。
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