長艸繡巧房

能衣装や着物、帯などの作品のほか、祇園祭の水引幕の復元新調や各地の祭事の装飾品の修復・復元まで行う、京繡の第一人者である長艸敏明さんと長艸純恵さん、娘の賀奈子さん。羽田美智子と「長艸繡巧房」の出会いは、20年以上前に遡ります。「ざっくばらんで、気さく」だという、長艸家の意外な素顔から、一針ひと針、想いが込められた長艸作品の魅力に迫りました。

「本当にここは京都なの!?」と驚いた、羽田美智子と長艸家の出会い。

羽田 とある編集部の方から「羽田さんに絶対紹介したい人がいるから、一緒に行きましょうよ」って連れてきていただいたのが、長艸先生のお宅だったんです。

賀奈子 私が学生の頃だったから、20年くらい前だっけ。

羽田 そうそう!かなちゃんとは、会った日にすっかり意気投合したよね。この家は、少し変わってるんですよ。普通、京都の人は、初めてのお客様は玄関までしか通さない。2回目に来たら次の間に通して…って、心を許した人だけ、庭が見える奥の間に通すという段階があるようなんです。だから、京都のお宅は"うなぎの寝床"と言われる、細長いつくりになっているっていう俗説まであるんですよね。

敏明 へぇ、そうなんやぁ~。

羽田 そうみたいですよ。そのくらい、京都の人がお腹を開いて人を迎えるのは、珍しいって聞きました。ゆっくり、ゆっくり、付き合わなければいけない。でもこの家は「どうぞ~」って、初日に奥の部屋に入れて頂いて、コロッケまでご馳走になって…そのまま昼寝しちゃいそうな勢いで(笑)。「本当にここは京都なの!?」って驚きました。最も敷居が高いはずのお仕事をされているのに、敷居が無いんですよね。

敏明 な~んにも、無いのよ。

羽田 ざっくばらんで、気さくで、とても良くしていただいて。それから「京都にいるんやったら、遊びにいらっしゃい」ってお言葉に甘えて、事あるごとにお邪魔させていただいて。イタリアから友達が来たときも、長艸家にお電話したら「いつでもいらっしゃい」って言ってくださって。能舞台に連れて行ってくださったり、色々と案内していただいて、友達も大喜びでした。

賀奈子 そうそうそう!銀閣寺とかまわったなぁ。

羽田 私の初舞台のときには、かなちゃんが楽屋のれんを作ってくれたよね。人から頂いたのれんを楽屋にかけるっていう、舞台のしきたりがあるんですけど、なかなか頼みにくいじゃないですか。そしたら、舞台があく3日前ぐらいに、「私が初めて作った刺繍作品やし、急いで作ったし、堪忍な」って、かなちゃんが送ってくれて。”ローズマリー”っていう役だったから、バラ模様の3枚つづりで、すごく綺麗なのれんを…、それを見た時は泣いちゃったな。

賀奈子 そうやったね。私の結婚式のときにも、持ってきてくれたよね。

羽田 かなちゃんが一生懸命に作ってくれた感じが、たまらなく嬉しかったな。

純恵 刺繍ってそういうことやもんね。ひと針、ひと針、想いを込めるっていう。

羽田 そうですね!のれん全体から、想いが伝わってくる感じがあって。それが、私にとって初めての"長艸作品"です。その次は、先生たちがプレゼントしてくださった、白鷺のお着物。今も大切にさせていただいてます。

純恵 ちょっと地味やったかもしれないね(笑)。

羽田 そんなことないです!60歳、70歳、死ぬまでずっと着られるようなお着物なんです。私だけじゃなく、親戚の叔母さんや義理の姉、みんなで着てるんですよ。

純恵 あら、みんなで着てくれはってるん!それは嬉しい。

敏明 良かったなぁ。

羽田 その翌年に、雪の結晶の帯を作ってくださったんです。それは、銀糸が入った黒い帯で。鴨川に白鷺が立っているイメージで、その様子が私っぽいから、って。冬も夏も1年中使えて、ものすごく重宝しているんですよ。それから、またしばらくして…って、私、どれだけ頂いてるんだろう(笑)。

羽田 え~、そうやったっけな、そんなにあげてたっけな(笑)。

長艸繡巧房

プレゼント用にも、自分用にも、1つあれば一生モノに!送る人の想いが伝わる、長艸工房特製の包袱紗と名刺入れ。

羽田 そして、この包袱紗と名刺入れですよ!

純恵 こういうんが世の中にあるって知っていただけるだけで、生きがいになって嬉しいね。

敏明 人に勧められるでしょ。そういうんが大事やと思う。

羽田 例えば、お嫁にいくお嬢さまへのプレゼントとしてもいいですよね。これ1つあれば重宝しますし。もちろん、自分用に買っても、一生モノになります。私は「貝あわせ」の包袱紗を使わせていただいています。

敏明 うちの名刺入れを持ってから、金運がアップしたっていう方もおるんですよ。

羽田 え~!!すごいですね!

純恵 あるお客さまが、お世話になった会社の方にプレゼントしはったんですよ。「(お世話になった方が)思いっきり儲かりそうなん作ってください!」って言われてね。

敏明 その名刺入れをもらった方に、仕事がどんどん入ってきたって。噂を聞いた他のお客様から「僕も欲しい」って言われましたよ。

羽田 持つ方の運気を上げてらっしゃるんですね。

敏明 うちは作ってるだけなんやけどね(笑)。

長艸繡巧房

「刺繍は祈り」一針ひと針、想いを込めて。

羽田 京繡っていうのはどういうものか、伝えていきたいですね。

純恵 普段はどちらかといえば、文化財の修復とか復元をメインにやってるんです。

羽田 能装束の衣装や、祇園祭の水引幕の修復・復元までされてますよね!

純恵 結構範囲が広いんですよ。着物だけじゃなくて舞台衣装もやるし、インテリア、タペストリー、掛け軸、屏風…幅広くやってますね。

長艸繡巧房

敏明 刺繍の原点は、もともと「繍仏(しゅうぶつ)」って、飛鳥時代に”仏さん”を繍うところから始まってるんや。奈良の都で、渡来人が刺繍をやり始めて、仏さんばっかり繍ってた。つまり、刺繍っていうのは、祈りから入ってきてるんやで。

羽田 「刺繍は祈り」ですか。

敏明 鎌倉時代には、亡くなった方の髪の毛を、仏さんの胸の中に入れて刺繍したり。ほれ、第二次世界大戦の時は、腹に"弾除け"いうて…

羽田 「千人針」ですね。確かに、刺繍と念じることは繋がっていますね。

敏明 だから、我々のような刺繍屋は、いい気持ち、いい心構えで刺繍をしないといけない。「これ、なんぼになんねん」って言うてやってたら、駄目やっていう。

羽田 なるほど!さっき仰っていた名刺入れのエピソードも、気持ちをこめて繍われたから、後押しになったということですよね。

純恵 贈る側の人の気持ちも大切ですね。

長艸繡巧房

敏明 伝統的なもんには、心構えっていうのが、ちゃんとあって。お茶の言葉でいう「不易流行(ふえきりゅうこう)」やないけど、"不易"、つまり、全然変わらないものと、"流行"するものと、両方合わせていかなければいけない。伝統の技術を自分の底辺に置いておいて、「世間は何が流行ってるんや、どういう状態なんや」ってことを、気にしなければならない。

羽田 伝統を大切にしながら、流行にも敏感にならなくてはならない。

敏明 例えば、色なんかでも「四十八茶百鼠(しじゅうはっちゃひゃくねずみ)」っていうくらい、たくさん種類がある。色を選んで、柄はどんなんで、どういう刺繍をするか、どういう金箔を置くかっていうのを、我々はプロデュースして作っていくんです。

純恵 まず、繍うものに合わせて、糸から自分たちでつくるの。とっても原始的でしょう(笑)。

羽田 へぇ~!この作業が、まず大変そうですね。目も疲れそう…!

純恵 こうやってね、手の感覚で覚えていくの。手が荒れていると引っかかってしまうから、手を大事にします。簡単そうに見えるかもしれないけど、結構難しいんですよ。

長艸繡巧房
長艸繡巧房

羽田 「桃栗三年…」って言いますけど、これは「糸縒り三年」ですね。

純恵 まさしくそのとおり!3年経っても、何年経っても、糸は難しいです。創作は、自分の表現を突き詰めていくことですからね。糸ひとつひとつが、自分なりの表現に繋がっています。

羽田 長艸繡巧房の作品は、色がとても素敵ですよね。

純恵 うちはもともと、注文があってから作るオートクチュールだったんですよ。だから、「ほかと色が違う」って、よく言われますね。仕入れの色とは違う、うちが長年かけてつくってきた、他では出せない色なんです。「色見本が欲しい」なんて言われたりしますね。

純恵 例えば、人がずーっと向こう側から歩いてきたときに、最初に「何色か」って認識するでしょ。だんだん近づいてきてようやく、柄、刺繍、金箔とかが見えますね。だから、色は非常に大事なんです。着てるモノによって、人の印象ってガラッと変わるでしょ。特に、京都の人はそういう目線が厳しいから。

羽田 京都の人は、昔からいいものを見てますものね。そういうときに、長艸先生の作品を身に着けていると、自信を持てますよ。やっぱり品が良いですから。

純恵 僕らは主役じゃない、どこまでいっても、物作ってる人は脇役やねん。主役をどういうふうに引き立てるかっていうことを、いつも大切にしています。

長艸繡巧房